島根県立益田高等学校は、島根県の西部に位置する益田市にあり、石西の中心校として長く石見の若者たちの学びの場として歴史を刻んできた。
明治45年の創設以来100年の永きにわたり、校歌に「文化新によみがえり」とあるように地域文化を支え、春秋に富む若者を育み、社会に貢献する優れた人材を育成する使命を果たしてきている。昭和23年に島根県立益田高等学校と改称し男女共学の普通科高等学校として新しく出発し、昭和45年には理数科を配置、現在3年生は普通科4学級、理数科1学級、1・2年生は普通科3学級、理数科1学級。
令和3年度には創立百十周年を迎え、創立以来の卒業生総数は約19,000名です。

校章の由来

昭和28年4月、県立益田産業高校と分離し、名実共に県立益田高校となった。同年8月、大塚均氏(当時津和野高校図工科教諭、その後郵政省郵便局切手室に技芸官として勤務された)に委嘱し、「高」の字を益田市の市章にちなんで図案化した。その表徴するところは「高潔にして明るく優しく、常に求めてやまぬ」若人の希望であり、理想である。

バッジの由来

昭和58年9月、制帽の自由化に伴って男子生徒もバッジを着用することになり、新しいデザインを全校生徒から募集したところ、3年福原美穂子さんの作品が入選した。これは益高のイニシャルのMを、力強い飛翔を連想させる翼の形に図案化しその上に校章を重ねたものである。 (益高だより第16号、益高新聞第81号参照)